ワーイワーイ!
田中芳樹「蘭陵王」の執筆がはじまっているようです。
最近は歴史小説あまり書いていなかったようですが、やっと中国史にもどってきてくれました!
ちなみに、前回の中国史小説「天竺熱風録」は未読……。
蘭陵王、ご存じの方いらっしゃいますでしょうか。
中国の南北朝時代(三国の次の次で、隋の前)・北斉の皇族で武将。
中国史というと三国志、しかも演義のことしか考えない人がいまだに多くてイヤになります。
中国史は三国志だけではありません。
南北朝時代はかなりマイナーですが、なかなかおもしろい時代。
とくに南朝・斉では(説はいくつかあるものの)纏足のはじまりと思われるできごとがあります(後述)。
また、仏教の三大弾圧(三武一宗の法難)のひとつ、北朝・北周の武宗による仏教弾圧も行われています。
仏教つながりでは、南朝・梁の開祖・武帝(蕭衍)は仏教を信奉するあまり、国を傾けました。
北朝のことはそれほど詳しくありませんが、南朝の梁や陳の小説はいくつか読みました。
といっても、しょせん小説レベルの知識ですけれど。
日本の南北朝は……あまりよくわかっていませんが、たしか同族の争いでしたよね??(不安)
中国の南北朝時代はそうではなく、ひとことでいってしまうと、異民族の鮮卑(=北朝)と中原の漢人(=南朝)の王朝がならび立った時代。
蘭陵王は北朝・北斉の人。
じつは中国だけでなく日本でも有名で、雅楽に「蘭陵王」または「陵王」として残っています。
広辞苑にものってるよ。
自身のたぐいまれな美貌をきらって仮面をかぶって戦場に出たという逸話は有名。
美貌、といっても今の世でいう「イケメン」ではなく、「勇猛な武将とは思えないやさしい顔つき」だったのだろうと思われます。やさ男、くらいでしょうか。
逸話なのでどこまで本当かはわかりませんけれど。
でも、無比の驍勇であったことはまちがいないようです。彼の死後(毒殺)、敵国・北周はこの機をのがさぬとばかりに北斉に猛攻をかけています。
蘭陵王(〜573)
北斉の皇族。北斉(高氏)の開祖・神武帝の孫の第4子で諱(生前の名)は長恭。
蘭陵王に封じられた。
無比の武勇を誇り、北斉の総帥をつとめたが、妬んだ主君によって毒を賜る。
武勇だけでなく、たぐいまれな美貌をもっていたが、戦場ではそれを嫌ってみずから仮面をかぶって出陣したという逸話は有名。
たった500騎で北周を撃退して陣にもどった際、衛兵が疑って開門しなかったため冑をはずして顔を見せて入城した。
その雄姿は「蘭陵王入陣曲」としてたたええられた。
日本の雅楽「蘭陵王」に残る。
纏足のはじまり……南朝・斉 編
ご存じ、纏足は中国において女性の足を性の玩具としてあつかった悪しき習慣。ゆがんだ性愛を象徴している。
そのはじまりは諸説あるものの、斉の時代のものは有力な説のひとつ。
斉王朝の東昏侯(バカ殿の意)が寵妃・藩妃を金でできた蓮の上を歩かせて小さな足を愛でたという。「歩歩金連ヲ生ズ」と賛美した。
転じて「金連」とは女性の纏足された小さな足の語源となった。
この時代はまだ足を縛ってはいなかったかもしれないが、女性の足に執着するという変態的行為は存在していた。なお、実際に纏足がはじまったのは唐の次の五代で、普及がはじまったのは宋あたりから。
中国史上、美人の条件は柳の葉のような眉、などいくつかありますが、小さな足というのも条件のひとつでした。男性の勝手な妄想ですが。
女性の纏足は性愛の道具とされ、沓(くつ)を脱がせたり、足をさわる、とは相当に破廉恥な行為でした。
スカートめくりなんてカワイイもんです、たぶん。
と、いうわけで、「射[周鳥]英雄伝」の小王爺・楊康は穆念慈に出会うなり沓をうばっているわけですから、そうとうなハレンチ野郎ということになりますね!
ま、どうでもいいムダ知識ですがな……。
2008年11月25日
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